川の光日記

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昭和の犬



直木賞を受賞した『昭和の犬』を読んだ。

この作家を読むのは初めてだが、なにしろタイトルがあまりにも魅力的である。
犬飼いとして非常に興味をそそられてアマゾンで検索したら、kindle版が出ていて、ついポチってしまった。
さすがは電子書籍、瞬時にダウンロードされ、iPad miniであっという間に読了。

主人公の柏木イクは昭和33年、滋賀県生まれ。彼女の5歳から49歳までが、8編の連作で綴られていく。
父親は気難しくて家族に厳しく、夫と心が通わない変人の母親も、娘に冷たくあたる。
だがそんな家にも、なぜかいつも犬がいた。
やがて逃げるように家を出て東京の大学に進学したイクだったが、
間借り先の家でも、さまざまに問題を抱えた家族、そして犬を目撃することになる。

カバー写真の犬が、クローズアップでなく引きで捉えられているのと同様に、
小説のなかでも、犬は主役ではなく、遠景にいる脇役だ。
しかし彼らは、うまくいかない家族の隙間を埋める存在であり、
飼い主の葛藤や寂しさや、時代に踊らされる軽薄さを映す鏡でもある。

私は本格的に犬を飼ったのはタミーが初めてで、
この小説の語り手のように、実家で次々と犬を飼っていた記憶もない。
だから昭和30~40年代の田舎の町における犬の飼い方の描写はとても新鮮だった。

「鎖でつないでおくわけでなし、予防注射をするわけでなし、朝と夕に残飯を与え、
犬の名を自分が好きなものに定めて、気が向けばその名を呼ぶ。
それだけで「飼っている」のである。だから、あたりの道を犬がよく歩いていたし、
「飼っている」犬がよく犬捕りに捕まえられたりした」


主人公の家に最初にいた「トン」という犬などは、近所の人たちを噛みまくって問題になるが、
それでも放し飼いのままで、菓子折りを持ってあやまりにいく程度で済んでしまう。
犬がいなくなると飼い主はいちおう残念がるが、すぐに次の犬がやってくる。
そのころの犬はほとんどが雑種。おそらく寿命もあまり長くなかっただろう。

主人公が成長して東京に出てくると、コリー、シェットランドシープドッグ、マルチーズ、ポメラニアンなど、
その時々の流行りの犬たちが登場して、リードでつなぐことが義務づけられ、
犬小屋で外飼い→室内飼いへと進化していく。その対比もおもしろい。

私がいちばん好きだったのは主人公のお父さん。
シベリア抑留で辛酸をなめた経験からか、感情のコントロールができない難儀な人なのだが、
なぜか犬からは即座に信頼され、どんなに凶暴で噛み癖のある犬でも瞬時になだめてしまう。

虚実ないまぜではあるけれど、かなり自伝的と思われるこの作品の核心は、
本当はこのお父さん、サディスティックなお母さん、および主人公がそんな家族関係から受けた
生涯癒えない傷なのではないだろうか。最近流行りの短編連作という形式の縛りがあるため、
その部分はあまり掘り下げずにさらっと軽快にまとめた感があり、ちょっともったいない気もした。
とはいえ、犬を登場させながらセンチメンタリズムに陥らないのはとても好感がもてた。
(最後に出てくる「マロン」という犬をめぐるエピソードでは、つい犬への愛が爆発してしまった感はあるが…)

それにしても、淡々と生きそして死んでいく昭和の犬たちに比べると、タミーのなんと過保護で甘ったれなことか。



(引き続き水彩風アプリにハマり中。いろんなタッチを選べるのだが、これは「イラスト風」)

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  1. 2014/01/21(火) 20:41:54|
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犬の伊勢参り



大掃除をしていると、「お正月用に」と自分に言い訳してアマゾンで衝動買いした本が無性に気になってきて、
「ちょっと休憩がてら、ぱらっとめくってみよう…」と手に取ってそのまま読み始め、掃除がちっともはかどらない、
という事態が往々にして発生する。

そのようにして、この忙しいなか、あっという間に読了してしまったこの一冊。しかし今年は20年に一度の
伊勢神宮の式年遷宮の年でもあったわけだから、年内に読めてよかった(…と再び自分に言い訳)。

タイトルに惹かれて入手し、日本美術における犬の図像学のようなものだろうと勝手に思い込んでいたのだが、
読んでみたらなんと、江戸時代に本当に伊勢参りをした犬がいた!という驚愕の内容だった。

明和八年(1771年)。赤白ぶちの犬がどこからともなく伊勢神宮に姿を現し、
本宮前の広場で平伏し、礼拝する格好をした。
宮人たちはその様子にただならぬものを感じ、お札を首につけてやったところ、ぶち犬は続いて内宮に直行し、
そこでも同じように平伏、礼拝。その後、山城国の飼い主の元に帰っていった。
家にたどり着いたときには、道すがら与えた人が何人もいたらしく、ひもに通した小銭を数百も首に巻いていた。

平伏して礼拝…まあ単に「伏せ」をしただけ、という気もするけれど、
これ以後約100年にわたって、同じように単独で伊勢参りをする犬の目撃談が、数多く残されているのだそうである。

背景にあったのは、庶民が突然、仕事や家族を放り出して伊勢神宮参拝を始める
「お蔭参り」という江戸時代特有の現象。
人々が伊勢に押し寄せるなか、犬が人間と一緒に移動しても不思議はない、と著者は推測する。
もちろん犬に信仰心があったわけではなく、その姿を伊勢参りに見立てたのは人間なのだが。

江戸時代、犬の多くは「里犬」と呼ばれ、特定の飼い主がいる犬はまれで、
長屋の軒下、藪の中、神社の境内などをねぐらにしながら、近所の人たちに食べ物をもらったり、
ほっつき歩いて自分で餌を探したりして生きていた。
いろんな人たちに面倒を見てもらいながら長距離を移動する犬も少なくなかった。

だが、明治になって人と犬の関係が近代化し、「飼い犬」と「野良犬」に区分されるようになってから、
この愉快な犬の伊勢参りは、ぱたりと途絶えてしまったらしい。

ふと、何年か前に南イタリアの海辺の町で、ふらっとわたしたちの前に現れ、
数メートル前方を先導するようにしばらく散歩に付き合ってくれた雑種犬を思い出した。

日本にも旅する自由犬がいたら楽しいのに。
あるいは『川の光 伊勢参り編』なんてどうだろうか。
しかし伊勢参りに似合うのはなんといっても和犬。
ジャーマンシェパードやウェストハイランドテリアは、なんとなく伊勢神宮にはフィットしない気がする。

↓サンタ帽をかぶってウトウトする我が家の洋犬も、伊勢参りにはあんまり関心がなさそう…。

IMG_2139b.jpg




  1. 2013/12/25(水) 18:33:51|
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犬の人生



6歳を超えたくらいからだろうか、タミーがだんだんヒトっぽくなってきたのは。
このところ、その感じはますます強まり、ふっと庭を眺めている表情など、人間としか思えないことがある。
わたしたちの会話も、ほとんど内容を理解していて、同意したり呆れたりしているふしがある。
夜中に目が覚めて台所に水を飲みに行くと、毛皮を脱いで缶ビール片手にくつろいでいる
タミーの「中の人」と鉢合わせ…。そんな荒唐無稽な事態をふと想像してしまうほどだ。

マーク・ストランドというカナダの作家がいて、『犬の人生』という短編集を書いている。
表題作は、ある晩、妻に向かって突然「いや、実を言うとね、僕は以前は犬だったんだよ」と告白する男の話。
犬種はコリーで、コネティカットの芝生のある大きな家で飼われていたというのだ。
妻は最初は「犬ですって」と戸惑いを見せ、「あなたが愛した犬たちもいたんでしょう」と嫉妬してみたり
「ずいぶんけっこうなお話みたいだけど、つらいことだってあったんじゃないの?」などと質問したりするが、
いつのまにか寝てしまう。そして男は、この話がふたりの間で再び持ち出されることはないだろうな…と思う。
それだけで終わってしまう、ちょっとシュールな短編である。

この逆バージョンで、ある晩、横で寝ているタミーがくるっとこちらに寝返りを打って、
「いや、実を言うとね、ぼくは以前は人間だったんだよ」と話し始めたらどうしよう…


翻訳はなんと多崎つくる…じゃなくて村上春樹。

  1. 2013/05/02(木) 22:07:14|
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2012年の動物本③ 『孤独なバッタが群れるとき』



地道に続いている2012年の動物本ベストシリーズ、最終回。

大きな書店に行くといつも、動物と進化論のコーナーに引き寄せられてしまう。
メインの関心は哺乳類と鳥類で、虫関係の本には滅多に手を出さないのだが、
これは、タイトルと帯に惹かれて、思わず手に取ってしまった一冊。

装丁はいかにも“学術書”だし、版元は東海大学出版会。
普通に考えればアカデミックで堅い内容のはずだが、それにしてはタイトルが妙に文学的だ。
帯の文句は「そのもの、群れると黒い悪魔と化し、破滅をもたらす」。
まるで最近話題のゴキブリ異星人マンガ『テラフォーマーズ』みたい。
そして、著者の名前もちょっと不思議である。
「前野 ウルド 浩太郎」。“ウルド”って…何? 著者紹介を見ると1980年生まれ。若い!

大人買いして家に持ち帰り、読んでみてまた驚いた。
内容的には、たしかに副題にある「サバクトビバッタの相変異と大発生」について書いてあるし、
実験結果のグラフなども多数掲載されているのだが、どうも文体がおかしい。
この文体は、どうやら著者のきわめてユニークなキャラクターに由来しているようだ。

書き出しからしてこうだ。
「その日、夜のネオン街を私は一人で歩いていた。昆虫学者になる夢がついえようとしていた」
見出しもなんだか変だ。
「あの娘にタッチ」「男たるもの」「オスにモテるがメスが好き」
「アゲハの誘惑」という見出しが登場したので、さてはバッタに見切りをつけて蝶に転向するのか?
と読み始めたら、「アゲハ」とは東京・新木場のクラブageHaのことで、
著者がポスドクになって収入が安定して気がゆるみ、“夜の蝶”たちに誘惑されそうになるが、
気を取り直して研究に復帰するまでの顛末が書かれていたのだった。

前野 ウルド 浩太郎氏は、バッタが大量発生する仕組み(相変異)を解明していく過程で多くの成果を上げ、
数々の賞を受賞し、現在はモーリタニアでフィールド調査を続ける前途有望な研究者らしい。
本書にはもちろん、その真面目な成果も大量に盛り込まれているのだが、
全体を貫くオフビートというかファンキーというか、従来のこの手の本ではありえないエキセントリックな調子によって、
バッタや虫にそれほど関心のない読者(私もそのひとり)をも引き込むパワーを持っている。
名前の“ウルド”の謎も巻末でちゃんと解き明かされる。

この「フィールドの生物学」シリーズはこれまで9冊刊行されていて、
①若い研究者に ②生物学者になるまでのいきさつや研究にあまり関係ないコマネタを含めて 
③自由に伸び伸び書かせる のがコンセプトのようだ。
バッタ本の前に出た『アリの巣をめぐる冒険』や『右利きのヘビ仮説』も目茶目茶おもしろいという噂。
またしても、大人買いで散財してしまいそうだ…。







  1. 2013/01/09(水) 23:48:12|
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2012年の動物本② 『動物に魂はあるのか』



こんな押し迫った時期に、しつこくブログ更新中。
まず、このブログによくコメントをくださる、らんくすさんから寄せられた情報をご紹介。

岩手県が「第3次ツキノワグマ保護計画」(案)を打ち出して、
ツキノワグマの保護計画を変更しようとしている。
① 管理年次の開始日を変更 → 狩猟自粛がなくなり、ハンターに有利になる
② これまで認められていなかった「春グマ狩り」を認める → 冬眠開けの母グマが殺され、
 仔グマたちが路頭に迷うことになる …ということらしい。
詳しくはここ↓を参照。
http://kumamori.org/news/

岩手県は1月4日まで電子メールで意見受付中みたいなので、上記のサイトを検討のうえ
「クマの無駄な殺生はやめてほしい」と思ったかたは、ぜひ反対意見メールを!
(アドレスのリンクも上記サイトにあり)

そして、今年読んだ動物本のなかで、この件にも関連した一冊を、ついでにご紹介しておきたい。



『動物に魂はあるのか』 金森修著(中公新書)。
古代ギリシャから現代まで「哲学者が動物という存在をどう扱ってきたか」をテーマにした本だ。

人間の動物に対する意識は、科学技術や社会制度と同様、時間の経過とともによりよい方向に進歩してきたはず…
そんなイメージを漠然と抱いていた人は、これを読むと、ちょっとショックを受けるかもしれない。

古代ギリシャの哲学者、たとえばアリストテレスなどは、動物に魂や精神活動があることを認めていた。
それは家畜やペットと接する普通の人の常識的な感覚に沿った考え方でもあった。
だが、17世紀のヨーロッパでは、近代的合理精神の誕生と時を同じくして、動物にとって過酷きわまりない
「動物機械論」という思想が一世を風靡した時期があったのだ。

このおぞましい思想の始祖はデカルトで、人間だけを特別視し、動物は感情も魂ももたない機械とみなした。
「機械だから平気だろう」というわけで、デカルトは自らウサギや犬の生体解剖も行った。
彼の弟子のマルブランシュはパリで犬を蹴飛ばし、犬が悲鳴をあげると「あれは別に何も感じないんですよ」
と言い放ったという(ちょっと出来すぎなエピソードのような気もするが…)

当然のことながら、同時代においてもこの思想は反発を招き、ライプニッツ、コンディヤック、ヴォルテールなど、
動物を擁護する「動物霊魂論」を唱える思想家が続々と現れる。
ヴォルテールなどは肉食に疑問を呈するヴェジタリアン的な感覚すらもっていたようだ。

18世紀後半以降、ありがたいことに「動物機械論」はすっかり下火になる。
19世紀に入ると進化論が登場し、生物学、人類学などの実証的知見も蓄積されて、
動物をめぐる哲学は、動物について考えることで人間存在について考える、というアプローチにシフトしていく。
動物の虐待に反対する動物解放運動などのアクティビズムも盛んになる。

だが、現在はある意味で、新たな「現代化された動物機械論」の時代でもある、と著者はいう。
工場畜産、遺伝子工学で改良された魚や家畜の登場…。
「人間は、最終的には動物より人間のほうが大切だと思っている。…直接には敵対せずただ地球上に
併存しているだけの生物たちでも、できるだけ制圧し、利用し、搾取しようとする」。

最後の最後の、「動物に魂はあるのか」と題された、短い一節が感動的だ。
それまでアカデミックだった文体が、ここで急に変化する。
少し長いけれど、一部を引用。

「人間は少しだけ、特別です。でも、だからといって他の生物に何をしてもいいということにはなりません。
自分の中の声を聴き取ろうとすれば、きっと聞こえてくるに違いありません、『お前がそんなに複雑で優れた
魂をもっているのは、他人だけでなく、他の生物にもできる限り気遣いをすることができるように、
そうなっているんだよ』と」

野生動物が消滅し、家畜とペットだけになってしまった世界…
そんな味気ない世界が到来しないように祈りたい。

  1. 2012/12/29(土) 17:37:37|
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